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2012年10月11日木曜日

総仕上げの高野山へ


御礼参りも無事終了しさて残すは・・・高野山へ
お大師様のいらっしゃる所へ・・・まいります。7/21(土) 午前5:40発の南海フェリーへ乗船するため4時起きでございます(ふぁ~ねむっ!)その眠い目をこすりこすり支度を整え、いざ出発!!船を待つ間にポツポツと雨が・・・・・「あれれぇぇぇ↗あめぇ↗???」と不安を抱きつつ乗船・・・約2時間船に揺られながら・・が!8時過ぎ和歌山港に着く頃には快晴!下船し「よしよしやっぱり日頃の行いがイイからだ❤」なんてニヤニヤしながら約2時間弱、距離にして60㌔位かな?走りますと高野山へ入山・・・
見えてまいりますのがこの一際“デカイ!”朱色の大門
とここではうたいますが・・・実はここ帰り際に気づきました
(><)こんなに大きな建物なのに金剛峰寺に行く途中は
全く気付いてなかったんです。恥ずかしながら・・・・・
ちょうど大きな三叉路の曲がり角に建てられております。
ここが金剛峰寺山門
私が駐車した駐車場からはそんなに離れてはいなかったのですが
ここは本当~~~に広い!駐車場によっては大分歩かないと
いけないところでもあります。


境内から見た山門です
このお寺の場所は真然大徳(しんぜんだいとく)のご住坊があった所で、天承元年(1131年)10月17日には覺鑁(かくばん)上人が鳥羽上皇の勅許を得て小伝法院を建立され、その後の文禄2年(1593年)には豊臣秀吉公が亡き母堂の菩提を弔うため、木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)に命じて建立されました。当時は、秀吉公の母堂の剃髪が納められたため、剃髪寺と名付けられたそうですが、のちにその名を青厳寺(せいがんじ)と呼び、応其上人の住坊となりました。その後は法印御房の住坊となり栄華を誇りましたが、再三の火災によって焼失し、現在の本殿は文久3年(1863年)に再建されました。
 私歴史にも弘法大師様にも詳しくはありませんが・・・昔の方は〇〇上人だとか上皇だとか・・・・
言い回しが難しいぃぃぃ~(><)(><)(><)

こちらが金剛峰寺 本堂というのでしょうか



金剛峰寺 全貌 と言いましてもあくまで本堂敷地内だけです。これでも全体を撮りたくて隅の方へ
よってよってして撮影しました。でも右の方が切れてしまっています(TT)
納経所の奥が拝観できるようになってます。  
東西30間(約60メートル)、南北約70メートルの主殿(しゅでん 本坊ともいう。重要文化財)をはじめ、座主居間、奥殿、別殿、新別殿、書院、新書院、経蔵、鐘楼、真然堂、護摩堂、阿字観道場、茶室等の建物を備え、寺内(じない)には狩野派の襖絵や石庭などが設けられ、境内総坪数48,295坪の広さだそうです。ここは“本堂”ではなく“主殿”っていうんですね~
ちなみに寺内も拝観できます。私も拝観させて頂きました。その風景が上の左側の写真です(無料のお茶とお菓子のサービスもあります(^^)v)

手入れの行き届いた立派なお庭です。粛々とした感じがなんとなく心の落ち着きみたいなものを
与えてくれるようでした・・・・・ただ人が・・・たくさんいて浸っている時間はありませんでしたが・・・・
 
こちらの山門からでて歩くこと10分位でしょうか
この大木が見えてきたらそこは・・・・あの・・・あの超有名な徳川家のお墓があります。






この大木の左側の脇道へ入っていきますと・・・

 下に写っております階段が見えてまいります。階段を登りますとお墓が・・・・

あっ!階段登る前に確か入場料が必要だったと思うのでお買い求めください(^^)/

階段を登り切りますとお墓かと思いきや!私が想像しておりました、世間一般のお墓ではありませんで・・・・建物なんです。それも二棟ならんで立っております。
← この左側が家康公の霊屋
こちらは徳川二代将軍秀忠の霊屋


どちらも見事な建屋と言いましょうか・・・・・この中には一体どんなものが入っているのか?興味のある所ではありますが・・・・・
さすがは徳川家だなぁ・・・・感心しつつ・・・
まだ奥の院があるのですが奥の院は次回アップする分で掲載してまいります。