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ホーム > NTSスタッフの八十八カ所 [逆打ち] 日記

2012年10月12日金曜日

高野山続き・・・お次は奥の院・・弘法大師様に・・・

まず奥の院まで向かう途中に目を引くのがこういったお墓です。ここにはいろいろ個人様のお墓もありますが、いろんな会社のお墓が並んでいました。なぜ会社でお墓を作るんだろう?この日もどちらかの会社の方が、テントを張っていました。家を建てるときに建前とか言いますよね?お墓とかはなんていうんでしょう?やっぱり"お墓の建前"っていうんでしょうか?もしこのページをご覧になった方でご存知の方いらっしゃいましたら教えて下さい。スーツを着た方々が何人も並んでらして・・・・なんとも不思議な光景でした
 
このお墓変わってますでしょう?というかかわいいぃぃぃ
お墓をかわいい❤というのもおかしいですが・・・・・
もれは見ての通りコーヒー会社さんのお墓でした。
真ん中に石畳がありましてその両脇はお墓ばかり・・・



 そしてお墓を抜けると大きな杉木立がそびえ立つ森へと入っていきます。この森の中にも歩道の両脇、いえいえ!この森全体が各地のその時代時代の藩主だったり、お大名だったり、何か功績を残された方々のお墓がズラ~リと鎮座しております。森の中は大木で日が遮られているせいか・・・ヒンヤリと・・・・

ここでこのページをご覧頂いている方へご忠告!!!!!!参道脇にはもちろんですが、参道から奥まった所にも墓石等はたくさん鎮座しています。気になるお墓があるからと奥へと入っていきますと・・・・大変な事が起こるかも???? 例えば、鳥にフンを落とされたり・・・・私落とされてしまいましたぁぁぁ
頭のちょうどてっぺんです。自分の頭の上は見えないので、ふき取ることもままならず・・・(苦笑)
落としきるのに一苦労しました。しかし!ここはポジティブに!お大師様に会いに来て「運(ウン)」がついた!と考えることで納得・・・・皆様はご注意あれ(^^)v
森を抜けますとここは納経所です。この建物内には少し休憩できる
お茶所のような場所もありますので、広い境内を歩き疲れたら
一息どうぞ・・・
納経所から十数メートルの所にこの小さな橋がありまして、この橋を渡り奥の方に見えますのが、「奥の院」、高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。正式には一の橋から参拝します。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年を超える杉木立の中に立ち並んでいます。
この橋を「御廟橋」と言います。
これより先は写真撮影禁止となっております。
 
 
← 散策中四国四県 愛媛の方のお墓を発見!徳島県のものは見つけられませんでした(><)
賤ヶ岳七本鎗の一人、加藤嘉明は関ヶ原で東軍について功をあげ、伊予10万石から倍増、伊予半国22万石を得、それを期に、松山に築城。





こちらは織田信長公のお墓です。
歴史上では超有名な人物なのに・・・
徳川家の霊台を見た後に、このお墓を
見ると・・・・なんだか淋しい感じが・・・・


こちらが豊臣家の眠るお墓です。
きちんと囲いをしてあって・・・広い敷地でした。
豊臣家のお墓への登り口
ここに来れば昔の超有名人に会えます。ただし心での会話になりますが・・・・・




奥の院への入口から反対方向へ歩くこと・・・・200m少々。こちらも大きな杉の木と諸大名のお墓等々を脇に見ながら進みますと・・・・汗かき地蔵尊というのだそうです。お堂の中には汗かき地蔵尊がまつられています。また、その傍らには、水面に自らの影が映らなければ3年の命であるという「姿見の井戸」があります。 ここで不思議に思うのは、井戸ってみんな自分の姿が映らなければ3年以内に・・とか3年の命とか・・・「3」という数字はどこから出てくるのでしょう???
汗かき地蔵尊は、常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって代わって受けて、それで汗を流しておられるのだそうです。黒っぽい石材に地蔵尊が半肉彫りされていて、実際にツユが吹いて、汗が流れているように見える時があるようです。

さて長々とお付き合いいただきましたが、生まれて初めて経験しました、四国八十八か所巡り。それもいきなりの「逆打ち」からという無謀さ・・・・お大師様もあきれてしまったのではないかと・・・・
ブログっというより思い出日記みたいになりましたが・・・・参考になって頂けましたのでしょうか?これを機にちょっと廻ってみようかしら?なぁ~んて思った、貴方!貴女!是非ご連絡をお待ちしております。弊社にはベテランドライバーもおりますので何なりとご相談下さいv(^^)v
しかし高野山は広い!私はこの奥の院と金剛峰寺しかまわりませんでしたが、他にも「御影堂」「多宝塔」「不動堂」とお参りして回る所は多々あります。もしかしたら1日位ではまわりきれないのかもしれません。今度ゆっくりとまわってみたいなぁと思っております。
ありがとうございました。

2012年10月11日木曜日

総仕上げの高野山へ


御礼参りも無事終了しさて残すは・・・高野山へ
お大師様のいらっしゃる所へ・・・まいります。7/21(土) 午前5:40発の南海フェリーへ乗船するため4時起きでございます(ふぁ~ねむっ!)その眠い目をこすりこすり支度を整え、いざ出発!!船を待つ間にポツポツと雨が・・・・・「あれれぇぇぇ↗あめぇ↗???」と不安を抱きつつ乗船・・・約2時間船に揺られながら・・が!8時過ぎ和歌山港に着く頃には快晴!下船し「よしよしやっぱり日頃の行いがイイからだ❤」なんてニヤニヤしながら約2時間弱、距離にして60㌔位かな?走りますと高野山へ入山・・・
見えてまいりますのがこの一際“デカイ!”朱色の大門
とここではうたいますが・・・実はここ帰り際に気づきました
(><)こんなに大きな建物なのに金剛峰寺に行く途中は
全く気付いてなかったんです。恥ずかしながら・・・・・
ちょうど大きな三叉路の曲がり角に建てられております。
ここが金剛峰寺山門
私が駐車した駐車場からはそんなに離れてはいなかったのですが
ここは本当~~~に広い!駐車場によっては大分歩かないと
いけないところでもあります。


境内から見た山門です
このお寺の場所は真然大徳(しんぜんだいとく)のご住坊があった所で、天承元年(1131年)10月17日には覺鑁(かくばん)上人が鳥羽上皇の勅許を得て小伝法院を建立され、その後の文禄2年(1593年)には豊臣秀吉公が亡き母堂の菩提を弔うため、木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)に命じて建立されました。当時は、秀吉公の母堂の剃髪が納められたため、剃髪寺と名付けられたそうですが、のちにその名を青厳寺(せいがんじ)と呼び、応其上人の住坊となりました。その後は法印御房の住坊となり栄華を誇りましたが、再三の火災によって焼失し、現在の本殿は文久3年(1863年)に再建されました。
 私歴史にも弘法大師様にも詳しくはありませんが・・・昔の方は〇〇上人だとか上皇だとか・・・・
言い回しが難しいぃぃぃ~(><)(><)(><)

こちらが金剛峰寺 本堂というのでしょうか



金剛峰寺 全貌 と言いましてもあくまで本堂敷地内だけです。これでも全体を撮りたくて隅の方へ
よってよってして撮影しました。でも右の方が切れてしまっています(TT)
納経所の奥が拝観できるようになってます。  
東西30間(約60メートル)、南北約70メートルの主殿(しゅでん 本坊ともいう。重要文化財)をはじめ、座主居間、奥殿、別殿、新別殿、書院、新書院、経蔵、鐘楼、真然堂、護摩堂、阿字観道場、茶室等の建物を備え、寺内(じない)には狩野派の襖絵や石庭などが設けられ、境内総坪数48,295坪の広さだそうです。ここは“本堂”ではなく“主殿”っていうんですね~
ちなみに寺内も拝観できます。私も拝観させて頂きました。その風景が上の左側の写真です(無料のお茶とお菓子のサービスもあります(^^)v)

手入れの行き届いた立派なお庭です。粛々とした感じがなんとなく心の落ち着きみたいなものを
与えてくれるようでした・・・・・ただ人が・・・たくさんいて浸っている時間はありませんでしたが・・・・
 
こちらの山門からでて歩くこと10分位でしょうか
この大木が見えてきたらそこは・・・・あの・・・あの超有名な徳川家のお墓があります。






この大木の左側の脇道へ入っていきますと・・・

 下に写っております階段が見えてまいります。階段を登りますとお墓が・・・・

あっ!階段登る前に確か入場料が必要だったと思うのでお買い求めください(^^)/

階段を登り切りますとお墓かと思いきや!私が想像しておりました、世間一般のお墓ではありませんで・・・・建物なんです。それも二棟ならんで立っております。
← この左側が家康公の霊屋
こちらは徳川二代将軍秀忠の霊屋


どちらも見事な建屋と言いましょうか・・・・・この中には一体どんなものが入っているのか?興味のある所ではありますが・・・・・
さすがは徳川家だなぁ・・・・感心しつつ・・・
まだ奥の院があるのですが奥の院は次回アップする分で掲載してまいります。



2012年10月9日火曜日

御礼参り



無事四国八十八か所巡り逆打ちが終了しまして、“ほっ!”としたのもつかの間・・・・
上司に「御礼参りはいかんの?」と一言・・・・うん!?御礼参りってなんですか???
どうやら無事まわり終えたら一番最初に行ったお寺に「無事終わりました。」ってご報告に行くことを
「御礼参り」というのだそうです。そんな事までするの!?っと思いつつ・・・早速わたくしも御礼参りに行ってまいりました。
6/22に1番札所霊山寺さんを終えてかれこれ一月も立とうとしたとある日・・・・
行ってまいりました。今回八十八か所巡りとともに別格20ケ寺も一緒に回っておりましたので、御礼参りも別格と八十八か寺の最初のお寺さんに行ってまいりました❤

 同じ山門です。
左は初めてまわった今年の2/8の
写真です。
右は御礼参りで7/16の写真です。
冬と夏の趣の違い・・・・
  同じく境内にあるイチョウの木の夏冬バージョンではないですが・・・・本当に葉っぱがあるのとないのとではこれほどの違いが出るんですねぇ~冬はやっぱり寒々しぃぃぃ(><)



納経もきちんと「御礼参りです」と言えば
それ用に書いてくれます。というよりやっぱり
御礼参りって皆さんするんでしょうか?
御礼参り用のページがありました。
 さて次は88番 大窪寺へまいります。
ここでも冬と夏の顔が見えます。鮮やかな緑に本堂が映えます。印象がこれだけ違うんですね。
平成24年1月18日の本堂
平成24年7月16日の本堂





これはトップページに同じ
場所で撮影したものが
出ているかと思いますが
空の感じに冬と夏の違いを
感じませんでしょうか?
そう思うのは私だけでしょうか?
大窪寺にて御礼参りの納経をして頂きました。
 


次回は総仕上げの高野山へまいります。次回お楽しみに・・・・・

2012年10月4日木曜日

とうとう・・・・やっと・・・

6/14の残り 2カ寺のご案内・・・・                

 
2番極楽寺 仁王門
お気付きの方もいらっしゃるかもしれませんが・・・・
朱色の仁王門、山門続いております。11番の井戸寺から
7番十楽寺、4番大日寺、3番金泉寺、そしてこの極楽寺
多いですねぇ・・・
 
弘法大師お手植えと言われる
この大杉・・・・・・
「長命杉」呼ばれています。
樹齢1200余年だそうです。
 
2番極楽寺本堂
ご本尊阿弥陀如来は国指定の重要文化財。
極楽寺は明治の頃、病弱な妊婦が安産祈願したところ、夢の中に弘法大師が現れ、四国遍路をすすめられたそうです。妊婦さんはそのお告げ通り巡礼に出ました。このお寺まで来たところ産気づいてしまったらしいのですが、再びお大師様が夢に現れお告げがあり最後まで巡礼を続け、帰宅すると無事男児を出産した。それ以来「安産大師」と呼ばれるようになったのだとか・・・・・今でも安産祈願する人が後を絶たないのだとか・・・・・
1番 霊山寺
さあ!ここはパンフレットや観光材料として
よく色んな所に出てくる霊山寺の仁王門です。
よーやっとここまでやってまいりました。通常ならば
ここから始まりなのですが・・・・・
一応この提灯もパンフレット
なんかでよく見かけるので
一枚撮ってみました(^^)v


霊山寺 本堂
この日もたくさんの方々が参拝に来られていました。
本堂内で納経や又御説法も聞けます。
 


仁王門を入り本堂に向かう途中にこんな像が・・・・
弘法大師様の幼き頃か?はたまた???
しかしどう見ても 裸??でも金ピカ!だったので
一枚パチリと・・・・恥ずかしぃぃぃ~~

ちょっと逆光で見にくいかもしれませんね。
霊山寺の多宝塔ここにも
五智如来像が祀られているらしいです。
応永年間(1394〜1428)の建造だそうです。
確か 五智如来が祀られているのは、安楽寺の多宝塔にもあったような???
5体もの如来像が祀ってあるなんて珍しいのかと思っていましたがそうでもないのかなぁ??
しかしまあ今年1月から始めて約5ケ月・・・やっとまわり終えました。四国八十八か所参り・・・長々とお付き合い頂きましてありがとうございます。
御礼参りとご本山和歌山の高野山へも行ってきましたので、それはまた次回に・・・・・・